派遣OL→無職な日々

自由に、正直に、今を丁寧に生きる シンプル+シングルライフをを綴ります。

自分の子供だから、とても大切なただの他人様

どんな親しい間柄であっても、その関係性に傲慢になりたくない。
自分の息子だから、血がつながっているからというだけで
乱れた言葉遣いで接したくない。
自分の傲慢さにも、無自覚になりたくない。

息子のことは愛してやまないけど、常に一線を引いている。
愛してやまないけど、その愛に盲目になると、
相手の存在を軽視する態度になってしまう落とし穴がある。

うまく言葉に出来ないけど、息子には
『とても大切なただの他人様』みたいな感覚がある。
息子(5歳)との会話には、私から発する言葉に敬語が入る。
馬鹿丁寧ではなく、例えば『本、片付けましょうね』とか『頑張りましたね』とか。

相手に丁寧に接するように理性が働くと、口から出る言葉も丁寧になる。
相手に愛が溢れると、『大好き!』『可愛い!』と、口から出る言葉も無邪気さが溢れる。
相手を意のままに動かそうとすると、口から出ることも粗雑になる。

思考は現実化し、行動となって現れる。
言葉を丁寧に扱えない人は、自分も丁寧に扱えない。

毎日5歳児と接していると、理性を保つにはあまりに苦しい瞬間が何度もある。
怒りじゃなく、叱る、伝える言葉で話すには、先ずは自分自身との平和な関係が最重要事項だ。
余裕と余白があれば、笑って許せる。
笑って許せた先に、お互いの成長がある。